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Takahashi  Yukinari

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#8 火とコーヒーと、名もなき時間

  • 執筆者の写真: 幸誠 高橋
    幸誠 高橋
  • 4月30日
  • 読了時間: 3分

川沿いの風が、春と初夏のあいだで迷っている。優しく流れる風が、少しひんやりと

湿気を帯びていて、それでも心地よいと感じられるのは、太陽がようやく本気を出してきたからだろう。


高橋幸誠は、その日もひとりだった。仕事を終え、夕暮れ前の3〜4時間だけ川辺に

立ち寄る、小さなお茶キャン。車の荷台から取り出したのは、ザックがひとつと、

細長いギアケースが一本。彼のキャンプスタイルには、静かな哲学がある。


“ミニマム”ではない。だが“コンパクト”でありたい。


無理に削らず、快適さを犠牲にせず、けれど荷物は洗練されていてほしい。そんなバランスの上にあるのが、彼のキャンプだった。

ハンギングラックには、ランタン、シェラカップ、折りたたみ式のカトラリーを吊るす。

ミニテーブルを2つ展開し、一つには焚き火道具とケトル、もう一つには挽いた

コーヒー豆が入った瓶。

道具の配置には無駄がなく、それでいてどこか温もりがあった。


この日の焚き火台は、軽量のコンパクトタイプ。細く乾いた小枝だけで、ゆっくりと炎を

楽しむ設えだ。


今日は、派手に燃やさなくていい


そんな判断ができるほど、ギアの選択肢を持っているという事実もまた、彼のこだわりの

ひとつだった。

別の日には、鉄製のソロ焚き火台を使う。薪割りをして、大きな炎を育てるように

燃やすのが、そのギアを使う時の愉しみ方。

キャンプは気分だ。だが、その日の気分にぴたりと寄り添ってくれる道具があることは、

何よりも贅沢なことだった。

焚き火の炎が、ぴちりと音を立てる。手のひらで温めたマグカップに、ドリップした

コーヒーを注ぐ。その香りは、街の喧騒も、稽古場の緊張も、すべて遠ざけてくれる

魔法のようだった。


二連休が取れた週末、高橋は山へ向かった。今回は“ガチキャン”。ギアはザック2つに

まとめられていた。だがその中には、テント、寝袋、ハンギングラック、焚き火ギア、

食器、調理器具と、快適な夜を支えるすべてが詰まっていた。

テントを張る地面を丁寧に均し、ミニテーブルを2つ設営し、調味料の瓶もランタンも

すぐ手の届く場所に配置する。

焚き火台は、鉄製のものを選んだ。薪をくべる音が心地よく、火の中心で跳ねる火の粉が、

まるでリズムを刻んでいるかのようだった。

星が滲む頃、新緑の葉で奏でる風のコンサートに耳を傾けた。歌詞のないメロディ。

音の輪郭だけが夜の闇に溶けていく。


この時間に名前をつけるとしたら、何だろうな


マグカップを両手で包みながら、彼はつぶやいた。キャンプは独り言への照れさえも

受け入れてくれる。

けれど答えは、風と焚き火と一緒に、静かに通り過ぎていった。


芝居も、写真も、音楽も、彼にとっては「誰かに届けるもの」だ。そのためには、心を解き放つ時間が必要になる。無言で火を眺め、道具を整え、湯を沸かし、

音もなく飲むコーヒー。


そんな無名の時間が、高橋の中に余白をつくる。

ギアを吟味する行為もまた、その静かな喜びの一部だった。見た目だけで選ばない。

使用感も、携行性も、風景にどう馴染むかも含めて、すべては“表現”の一環だった。

誰にも見せなくていい瞬間が、誰かに届けたい表現を、もっと自由にしていく。

だから彼は、また山を下りて、次の舞台へ、次の撮影へ、次の子どもたちの笑顔の方へと

向かっていく。

でもその荷台には、いつだってギアが積まれている。


その準備がある限り、

彼の心は、決してすり減らない。



つづく

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