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Takahashi  Yukinari

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#4 言い訳でも、赦しでもなく

  • 執筆者の写真: 幸誠 高橋
    幸誠 高橋
  • 4月14日
  • 読了時間: 2分

更新日:4月17日

カメラバッグの奥底に、指先が触れる。


何年か前に中古で購入したパンケーキズームレンズだった。傷はないが、どこか使い込まれた風情がある。金属部分の鈍い光沢が、日の入りかけた窓辺の光に照らされて、ひっそりと輝いた。


高橋幸誠は、ひと息ついて、そのレンズをマウントにつけた。音もなく世界が切り替わる。ファインダーを覗くと、スタジオの片隅に吊るされたカーテンが、まるで別の景色の入り口のように思えた。

最近、気になっていた高性能の単焦点レンズがあった。レビューも読み漁ったし、どのカメラマンYouTuberさんも「あれ、絶対買うべき!」だそうで。


実際、仕事の幅や表現の精度を考えれば、手に入れて損はない。しかし今日もまた、購入ボタンを押すことはなかった。


「迷ってるうちは、買わない方がいい」それはどこかで聞いた誰かの言葉か、自分が誰かに言った言葉だったか。


けれど——迷いの中にある自分を、まるごと否定することもできなかった。その気持ちは、まるで曖昧な光のようだった。夕方、窓から差し込むオレンジと青のあわい、どちらとも言えない空の色。はっきりしないのに、妙に心を揺らす。


彼が持っているこのズームレンズ。ピントを合わせる速度は決して速くはないし、絞りもそこまで明るくはない。けれど、光を追い込む時の癖や、被写体がふと振り返る瞬間の捉え方には、すでに身体の一部のような感覚が宿っている。


「今あるもので、どこまで撮れるか」それは時に、自分自身への挑戦でもあり、時に、自分の未熟さを静かに受け入れる時間でもあった。


とある日、休日だったので、趣味のスナップ写真を撮影しに、街中の公園に訪れていた。彼はファインダー越しに、それをそっと覗いた。葉を撫でる春の風が、レンズを通して感じた。


撮影が終わった後、高橋はMacBookを開き、ひとつずつ写真を選びながらレタッチをしていった。色温度、コントラスト、少しの明暗差——そういった微細な調整の先に、撮影場所の空気感が浮かび上がってくる。


「このレンズで、撮れてよかったな」画面に映る木々や景色に、そうつぶやいた。


ただ——Macの横に置かれたメモ帳には、こう書き留めてはある。

“25mm f/1.7、次の撮影に必要になったら改めて考える”

強く言い切れない自分を、彼は知っている。でも、そんな自分ごと写真に映り込ませていくことも、きっと、彼の表現の一部なのだ。


カメラの中に映る世界は、いつだって、正解だけではできていない。



つづく

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